大会の雰囲気が新聞の各ページに広がる
1976年12月14日から20日まで、第4回党全国代表大会がハノイで開催されました。大会には、全国の150万人以上の党員を代表して1,008人の代表者が出席しました。大会は、101人の正式委員と32人の候補委員からなる新しい中央執行委員会を選出しました。レ・ズアン同志は、党中央執行委員会の書記長に選出されました。
大会はベトナム労働党をベトナム共産党に改名することを決定しました。
イベントに先立ち、1976年12月9日木曜日の新聞号で、ラオドン新聞の一面は「党大会を祝う」というタイトルを付けました。この号には、「赤い歴史のページを開き、希望を輝かせる」という記事があり、ラオドン新聞は、以前の党大会の足跡を振り返ります。具体的には、「党の第1回大会:ベトナム革命復興の過程の大会」、「第2回大会:抵抗戦争大会」、「第3回大会:北部における社会主義建設と国家統一闘争大会」です。
大会期間中、ラオドン新聞は、党大会に向けた興奮と信頼に満ちた雰囲気を伝える多くの記事を掲載しました。
1976年12月16日木曜日発行の新聞号で、ラオドン新聞は「全盛会は未来を切り開く」という記事を掲載し、その中で次のように述べています。「我が国にとって非常に重要な出来事であり、全国の心臓部である首都ハノイで開催されています。党第4回大会です。」
党大会は、カオランからミンハイまでの豊かな国土が一つになった後、党員と全国民の願いであり、ベトナム民族大家族の5000万人が一つの旗に向かい、敬愛するホー・チ・ミン主席が打ち出した道、つまり「社会主義」に従うことです。

新聞には、「党員の世代が集まり、我が党の美しいイメージが際立っている」というイメージも掲載されており、党は当初から団結と統一の伝統の力を明確に示してきた。過去46年間、その力は試され、鍛えられ、日々より強固になり、革命闘争の多くの嵐を経験してきた...」
1976年12月23日発行の新聞号は、党第4回大会が輝かしい成功を収め、大会がベトナム労働党をベトナム共産党に改名することを決定したことを確認しました。
同時に、同紙は、レ・ズアン同志 - 党中央執行委員会書記長の大会閉幕演説を掲載し、その中で次のように書いています。「我が党には、労働者階級の利益、労働者国民の利益、そして国民全体の利益に奉仕すること以外に目的はありません。全党は、ホーチミン主席の教えである『我が党を真に清廉に保ち、指導者、国民の真に忠実な召使いにふさわしい者でなければならない』を永遠に記憶し、厳格に実行することを決意します。」
「親愛なる代表の皆様、今後数日間で、地方に戻り、工場、田畑、街、村、部隊、機関、そしてあらゆる場所にある私たちの党組織に戻ります。幹部、党員、すべての労働者、そしてすべての同胞に、党中央執行委員会からの温かい挨拶と心からの祝福を伝えていただきたいと思います...」
労働者の気持ちと考えを大会に伝える架け橋
大会前の第2846号では、「先日、ラオドン新聞社と冶金機械労働組合は、第4回党大会における党中央執行委員会の政治報告書の概要について議論し、作成するために、冶金機械産業の計画について一部の労働者と円卓会議を開催しました」と報じられています。

新聞は、党大会に向けた労働者の考えを、「戦線で鉄筋を鍛錬する中で、労働者はより良い労働条件を望んでいる」という記事で伝えました。
その後、1976年12月16日付の新聞2848号には、「ベトナム労働総同盟から第4回党全国代表大会への手紙」が掲載され、「党大会に向けて、過去2ヶ月間、全国のすべての労働者と公務員は、生産労働と節約の競争運動を推進し、労働生産性と仕事の効率を向上させ、1976年の国家計画を上回る達成を目指し、さらなるプロジェクトを建設し、興奮と活気のある雰囲気でさらなる製品を生産し、大会に貢献する成果を上げています」と述べています。

大会終了後、1976年12月30日の新聞号で、ラオドン新聞は「ベトナム労働総同盟執行委員会の第4回党全国代表大会決議の勝利的な実施に関する呼びかけ」を掲載しました。